« 買ったもの | トップページ | 『零崎曲識の人間人間』読了 »

2008.04.10

『アンゲルゼ 孵らぬ者たちの箱庭』読了

51v4xxwe2bzl__ss500_

アンゲルゼ 孵らぬ者たちの箱庭』(須賀しのぶ/コバルト文庫)読了。

須賀しのぶってこういうのも書くんだなあ、とちょっと感心したものの、よくよく読んでみると、学園異能ものっぽく始まっておきながら、強固な世界観が全体を覆い始め、少女の日常をからめとっていくという展開で、やっぱり須賀しのぶの描くものは、どうしても個人のみの視点ではなく、より広い方向に開けているんだな、と感じた。

どういうことかと言うと、まあ、人類の敵と戦っている現実とはことなる現代において、その戦いに巻き込まれる主人公、と言うテンプレートを取ってみるといかにもな作品なんだけど、彼女自身がいかに努力しようとも、運命という理不尽で、不条理な出来事に翻弄されてしまうため、なかなかカタルシスを得られない。と言うか、そもそも勝利することなど、土台が不可能なことなんだよね、彼女の巻き込まれたことは。彼女が巻き込まれた時点で、すでに決定的なことは終わっていて、彼女はその最終段階を追認したに過ぎない。ひどい話ですよ本当に。やってられないよ。

『だけれども』、と言うところから、須賀しのぶの作品は始まるんだよね。絶望の確認からのスタート。その絶望を追認するまでに支払った犠牲の大きさに、主人公は、決して逃れようとはせず、受け止め、立ち向かおうとする。そのためには、小さな、学園のような世界では、決して起こりえないもっと広い、政治的、社会的な視野を持つことが必要で、それがなくては、大人にいいように利用されてしまうだけなんですよ。もちろん、そんなこと、ついこの間まで、友達の輪から外れたら世界が終わったような気分になってしまう主人公が、そんな視点を持てるわけないじゃないですか。無いんですよ。

『だけれども』、とさっき書いたけど、それが無くては、結局、いつまでも、どうしようもないんだよね。否応なしに、彼女は、日常の裏で動いていた出来事に関わっていかなくてはならない。それは、大人の社会に組み込まれ、駒として扱われることを意味するけれども、それまでは、駒ですらなかった。その自覚(子供の世界からの目覚め)を促し方が、ちゃんと社会と言うか、”大人”の世界の背景が感じられるところが、この作品を凡百の学園異能にとどめることなく、オリジナル(と言う言い方も変か?)なものを保持しているところなのだろうと思うのです。

|

« 買ったもの | トップページ | 『零崎曲識の人間人間』読了 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/29313/40832180

この記事へのトラックバック一覧です: 『アンゲルゼ 孵らぬ者たちの箱庭』読了:

« 買ったもの | トップページ | 『零崎曲識の人間人間』読了 »