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2008.03.12

『トポロシャドゥの喪失証明 -ソウルドロップ彷徨録』読了

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トポロシャドゥの喪失証明 -ソウルドロップ彷徨録』(上遠野浩平/洋伝社)読了。

上遠野浩平の引き出しは一つしかないというのは分かっているけれども、電撃文庫のシリーズに比べると、まだしもこちらのシリーズの方が未来に明るさが見えなくも無いかなあ。少なくとも、登場人物たちは社会人だ(なんだそりゃ)。もっとも、その社会人ぶりも、良くも悪くも”リアル”ではないのだが(でも『リアルであること』なんてたいして重要な問題でもないぜ!)、ある種のファンタジーとしての意義はあると思う。何故と言うならば、命と引き換えにしても良いものがある、というそれだけことさえも得られないのがこの世の中であって、あるいは自分ではそれはなによりも大切なものであったはずのものが、他人には何の価値も無いものであったり、さらに救われない話だったりすると単なる思い込みであったりしたりする。

上遠野浩平のひどいところは、そういうどうしようもない状況だけを設定しておいて、決着もつけないまま放り出してしまうところだ。最近の上遠野浩平の作品から強く感じることなのだが、もともと持っていた世界への違和と閉塞感がさらに強固さを増し、描く作品自体が袋小路に陥りつつあるように思う。これは、おそらく上遠野浩平自身がその閉塞から解放できていないという点でもあるのかもしれないし、そもそも結論が出るような話ではないことでもある。

だからこそこの作品のラストはなんの救いもないものになる。ソウルドロップシリーズは、(適切な表現なのか分からないのだが)あらゆる価値が相対論に落ち込んでしまった世界で、人はどのように生きていくべきなのか、あるいは生きていけないのかと言うことを描かれと僕は感じるのだけど、結局、諸三谷が命と引き返にしようとしたものは、本当のものだったのかどうなのか…と言う点がどうしようもない。命と引き換えするもの(=キャビネッセンス)すら”代替物”が存在するのであれば、一体、人間は何を信じて生きていけば良いと言うのか。

……まあ、結局、そんなもんはどうでもいい、と言うのが、我らが主人公の伊佐の結論になっちまうわけだが、それじゃあ、一冊かけてやってきたことはなんだったんだよう。いや、本物だろうと代替物であろうと、信じて行動すればどっちでもかまわないということなんだろうけど、それって救いになるのか?と言う気もするんだが、まあそれこそウダウダ考えても答えが出るものではないしな・・・ってまさかその不毛さを一作かけて描いているのかっ!?

…なんかもー…厭すぎる…。

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