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2008.03.09

『ツァラトゥストラへの階段2』読了

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ツァラトゥストラへの階段2』(土橋真二郎/電撃文庫)読了。

…パルス能力が男女によって違うなんていきなり言われてもなあ…。そうすると、前回、飛鳥は純粋に反射神経だけで戦っていたということになるのか?ううむ…まあいいか。

相変わらず超面白い。実を言うとあまり分析的に評価出来ないぐらいに面白くて、感想を書く手も困惑しがちだ。本当にどこが面白いのだろう…?と自分でも不思議なくらいに好きな作品。そもそも、『扉の外』の頃から死ぬほど好きだったのだけど、ここに来てさらに面白くなって来た。

ただ、実を言うと、ギャンブル(ゲーム)小説としてはそれほど高品質でもないかな、と思う。特に今回は、ゲームのルールに意図的であると思うけど、穴が多くて、ほぼ力伎でケリがつくゲームになっているため、駆け引きのスリルはあまり感じられない。実際の駆け引き部分は、主人公のパルス能力によって処理してしまっているしね。

しかし、サスペンス小説としては話が別だ。それは、人間関係の危うさ、人が人であることの不安定さと言うべきものだ。人間を人間として保障してくれるのは、社会のルールや、他者との関わりだけなのだが、この”ゲーム”の中では社会のルールが通用しない。と言うことは、ゲーム中は、彼らは人間ではなく”孤人”として生き、そして生存を勝ち取らなければならない。その中で生まれる他者との関わりは、必然的に打算と不信が渦を巻く。それは、人間が社会的な動物ではなくなっていくことを意味している(ラストで舞が、プレイヤーもゲームを離れれば普通の人、みたいなことを言っていたけど、それが社会性と言うもののことだろう)。

社会と言う虚飾を剥ぎ取られた状況で、人間は何を選択するのか、と言うところにそれぞれの本質がプリミティブに立ち現れてくるところが、この作品の面白さなのだろうと思う。己の駒としてしか他者を見ないもの、利益のみで動くもの、復讐心を滾らせるもの。それぞれの人格が原始的に純化していく中、だからこそ、福原が最後にとった行動があまりにも美しい。

人が人であるために必要なもの。それは、本能とかに抗する理性とかそういうものじゃなくて、もうちょっと当たり前の感情だって、ある。一度逃げ出した福原が、再びゲームに立ち戻って戦いを再開した理由は、まさにそれだ。この世のあらゆる事象をデータとして分析する力を得た福原が、”複雑なデータの集合体”を舐めてみて、やっぱりしょっぱかったと述懐するくだりは、思わず感動してしまった。肉体とは精神の乗り物に過ぎない…けれども、肉体を介さなくては、人は触れ合うことさえも出来ないのだ。

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