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2008.01.08

『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん(3) 死の礎は生』読了

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嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん(3) 死の礎は生』(入間人間/電撃文庫)読了。

まあ相変わらずひどい話なのは変わらず、そしてインパクト重視の作品ではあります。そこは期待通りなんですが…いやーまったくもってどうしようもなく死ぬほど文章が鬱陶しいですね!もう読者に不快感を与えることしか考えいない素晴らしい鬱陶しさ!今までも鬱陶しかったけど、この3巻における主人公の独白の鬱陶しさは天元突破やでホンマに…。

この主人公は地の文で説明をしたことをすぐさま否定して、さらに否定したこと自体を戯言にしてしまっており、主人公が何が言いたいのか分からないのだけど、まあ別にぼくはそれ自体は特に気にならないので全然かまわないんだけど、ただは2歩進んで3歩下がるが如く行ったり来たりする主人公の独白が物語の流れを阻害してしまっているため、読んでも読んでも先に進んだ気がしない閉塞感と圧迫感を表現しているところが凄いといえば凄いのだけど、それを技巧でやっているのか天然でやっているのかについては一考の余地がありとは言うものの、どちらにしてもものすごく鬱陶しいのだった(ひどい文章だ)。貴様はどんだけ信用のおけない語り手なんじゃあッ!と思わず読みながら腹を立ててしまった。だって主人公の言うことって何一つ信用できないと言うか何が真実なのかと言うか事実が何なのかすら分からないのだから。ただ、この鬱陶しいまでに過剰なみーくんの語りは、一方で世界の残酷さと彼自身の内心を糊塗するためのものであるので、僕が感じるこの不快さは、ものすごく作品としては正しいものではないかとも思う。揺れ動く内心を必死で押さえ、どこまでもまーちゃんに仕える彼には、実のところ、本来ならばそこにあるはずの喜びがあるのかないのかさえ読者には不明だ。奴隷のようにまーちゃんに尽くすかれのモチベーションは一体どこから来るのか、読者に対してさえ一切の真実と事実を語らない”みーくん”の内心こそが最大のミステリであろう。僕には主人公のまーちゃんの拘り方は全然わからないのだけど、それを必死で押し隠そうとする主人公の軋みがいつまで続くのか、僕は興味が引かれるのである。

(これぞ他者の痛みと不幸を喜ぶエンターテインメント!主人公に同情しようと共感しようと悪趣味なことにはかわらねー!!)

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コメント

この小説の魅力を否定するとはなかなかいただけませんな。

そんなあなたには是非さとうゆうやの本をお薦めします。
多分もっと嫌になりますから

投稿: 名無しという名の名無し | 2008.03.23 13:40

>名無しという名の名無しさん

この作品を貶めているように感じられたのであれば申し訳ありません。僕の書き方がややこしいのでそう思われるのは無理も無いことだとは思うのですが。

個人的には、この主人公の一人称は非常に鬱陶しいとは感じるものの、この文体は、むしろ現実の無残さ、理不尽さを表現することに成功していると僕は思っています。

作者は、読者に対してある程度の不快感を意図的に与えているでしょうし、その意図はかなりのレベルで成功していると思います。

その意味で、僕はこの作品を”すごく面白い作品”であると思っています。これは僕の一方の感想である”不快”であるという感想と矛盾するものではなく、どちらも両立しうるものです。

簡単に言えば(最初から言えよと言う感じですが)感覚的には不快だけど、作品としては面白い、と言うことがこの感想では書きたかったのですが…。すいません、力不足でした。

あと、佐藤友哉は『フリッカー式』の新書版(当然初版)から、たぶん全部読んでいます。これも、不快ではあるんですけど、凄い作品ですねえ…。

『エナメルを塗った魂の比重』はいまだに佐藤友哉の大傑作だと信じている吉兆でした。

投稿: 吉兆 | 2008.03.23 17:57

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