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2007.11.30

『黄金の王 白銀の王』読了

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黄金の王 白銀の王』(沢村凛/幻冬舎)読了。一言で言うと傑作と言っていいでしょう。けど一筋縄ではいかない作品。

沢村凛の描くファンタジーは非常に特異なところがある。なにしろ主人公たちがいかに努力しようとも”ビルドゥンクス”が達成できないのだ。ビルドゥンクスとは、ここでは成長物語と言う意味と、その成長も社会なり他人なりに承認され、その成員として受け入れられるところまでを指す。ところが沢村凛のファンタジーにおいて、主人公は自分の正しいと考える行為を為し、事実その行為は気高く、多くの人の幸福につながる道を歩んでいくのだが、その行為はあまりにもマクロの視点に基づいた思想であるがゆえに、ミクロの視点しか持ち得ない(普通の)人々にとっては何一つ理解出来ない行為なのだ。主人公の選択は、実は周囲の人々の”100年先の幸福”をめざした行為なのだが、それを理解出来ない人々は、主人公を疎み、あるいは憎悪し、排斥する。つまり、主人公の属する社会の成員としても承認を受けることなく、あらゆる意味で拒絶される。そして、物語が進むにつれて、主人公は次々に大切なものを失っていく。言うなれば”アンチビルドゥンクスロマン”とでも名付けられる壮絶な人生を、穏やかに静かに、儚いまでに美しく描いていくところに、ただただ絶句するしかない。

主人公を理解するものは誰ひとりとしていないまま、憎まれ石をもて投げつける人々のために、彼はは身も心もぼろぼろにして道を進む。あくまでもマクロの視点で行動する主人公は、しかし、彼がもっとも大切にしているのは、ミクロの、つまりごく当たり前の平凡な日常でもある。あらゆるすべてから排斥される主人公を、最後に受け入れてくれたのは、手を握ってくれた女性と、その子供たちだ。そのためにこそ、彼はすべてを、自分すら捨てて歩み続ける。自らが擦り切れて摩滅するその時まで。その道は英雄の道ではない。聖者の道である。だが、彼が聖者の道を歩んだのは、妻の、そして息子の、そして孫のため。地位も名誉も栄光も人並みの幸福さえも捨て、社会的にも歴史的にも何一つ事跡を残さなかった男が望んだものは、ただそれだけなのだった。そこには自己憐憫も独善も憎しみも無い。ただただ、与えられた運命を受け入れ、その上で全力で物事を成し遂げようとした人間の、深い満足感に満ちた境地があるのだった。

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» 黄金の王 白銀の王 [雑読日記]
とても面白かったです、読了午前二時半。 異世界ファンタジー小説に分類されるでしょう、 沢村凛「黄金の王 白銀の王」は、 骨格のしっかりした良質のファンタジーであると思います。 主人公が異能者である、というのは創作ではよくある話ですが、 本作品の二人の主人公... [続きを読む]

受信: 2007.12.23 17:43

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