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2007.09.01

懐かしくも新鮮なおはなし

朝、目を覚ますまで観に行こうなんて全然考えていなかったのだけど、ゴーストがとりあえず初日で一回観とけとささやくので『エヴァンゲリオンヱヴァンゲリヲン新劇場版・序』を鑑賞してきた。

始まった当初。どこかで観た映像、どこかで聞いた台詞が続く。絵と声は全部書き直して取り直したと言う話だと聞いていたのだけど、確かに絵は綺麗なんだけど構図がそのままなので、『エヴァ』にそっくりな何か、と言う印象だった。

でも、何故だろう。いつか観たソレとまったく同じストーリー、同じ演技でありながら、物語が語られるにつれてその違和感が無くなって行く。いや、もしかしたら無くなるのではなく…受け取り方が変わっただけなのだろう。

TVアニメとして『エヴァ』が放映されていたあの頃。僕はまだ10代の学生だった。シンジ君とさして変わらない年齢で、当然、僕はシンジ君の視点でものを見ていた。作品を受け取っていた。彼の身の置き所の無さに共感し、恐怖にも似た焦燥と、周囲への暴力的な激情。そんなものを身近に感じていた。

今の僕は、それなりに社会的な生活がある。バタバタとしながら暮らしている。そんな僕は(ある程度はそうなるんじゃないかと思ってはいたのだけど)シンジ君よりもミサトや、あるいはゲンドウにこそ共感を親愛を感じるのだ。大人たちがいっぱいいっぱいで行動している姿、それに翻弄される子供たち。以前は見えなかった関係が、今ではずいぶんと良く分かる。エヴァって言うのは、いわゆるセカイ系のはしりのような言い方をされることが多いけれど、実は、シンジ君の”セカイ”を包括する形で、大人たちの、社会的な”世界”が描かれている作品であり、記号的な単純化とは、むしろ対極に位置する方向性を持っているのだということがはっきりと理解できたのだった。

以下、雑感ゆえ格納。

・確かに絵は綺麗になっている(ような気がする)んだけど、奇妙なくらいにTVシリーズの印象が変わらない。おそらく演出自体は変わっていないからだろう。もしかすると意図的なものなのだろうか。

・シンジ君がやたらとセクシーすぎる。美少年にもほどがあるというものだ。

・ミサトさんがシンジ君をすごく持て余しているのが実感として分かった。この人、子供が苦手なんだろうなあ。テンションを上げて明るく振舞っているけど、『大人』と言う仮面を外してシンジ君と向き合うことが出来ていない。出てくる言葉は、常に”上司”として、”大人”としての言葉ばかり。でもねえ…14歳の少年は、建前では動かせないって…。

・たぶん、この点において、ミサトさんはすごく勘違いをしていると思う。たびたび口にする”義務”とか”立派な仕事”とか、まあミサトさんなりにシンジ君に気を使って、励ましているんだけど、そんな目に見えないものじゃ納得するわけがないってことが理解できていないんだな。

・シンジ君にとっては、目の前の現実(いわゆる”セカイ”ってやつだ)だけが実感できる唯一のことだし、友達とか、好意を抱いた女の子とか、そういう手の届くところにあるものだけが真実に感じられるのだろう。

・だから、この映画のクライマックス前に、エヴァに乗ることの意義を見出せないシンジ君に対して、ミサトさんが初めて”手を握ったこと”は大きな意味がある。それは、彼女が大人として上からものを見ながらの発言ではなくて、同じ目線から、同じ現実レベルで物事を話そうと言う意思の表れだと思う。彼女は”大人”の仮面を脱ごうとしたのだ。

・もっともそれはあまりにも不器用で、結局、ミサトさんは”義務”と”覚悟”の話しか出来ていないのだけれども。きちんとシンジ君の現実とは噛み合っていないのだ。でも、不承不承ながらもシンジ君がエヴァの乗ることを承諾した理由は、間違いなく彼の手を握る彼女の手のぬくもりだったのだろうし、シンジ君はミサトの言う事を実感として理解できたわけではないのだろうけれども、彼女が本気で言っているのだということだけは理解できたのだろう。

・このシーンは、おそらくTV版ではなかったシーンで、作品内の大人たちが、子供と言葉を交わそうとする意思が垣間見えて、少し、この劇場版の意味が見えたように思う。今回は大人たちの物語なのだ。

・大人たちの物語と言う意味では、ゲンドウについても興味深い。と言うよりも、彼の感情表現のあまりの不器用さに、今更ながらに驚いた。昔、TV版を見ていたときは、単に支配的で抑圧的な父親としか見えなかったのだけど、実はそうでもない。

・一番端的に表われているのは、最初の戦いを終えてシンジ君が病院から帰ろうとしたシーン。エレベーターを待っていると、下から上がってきたエレベーターが開く。するとそこにはゲンドウが。思わず目を背けるシンジ。エレベーターはそのまま閉まって上に上っていく。

・ここで注目すべきは、”下”から上がってきたってところ。シンジ君は帰ろうとしていたわけだから、エレベーターを”下”にボタンを押しているはず。それなのにその階で”エレベーターが止まった”と言うことは、その階で降りる人がいたということ。しかし、その時には誰も降りなかった。と言うことは…本当はゲンドウは、シンジ君の病室に寄ろうとしていたと言うことではないかと。シンジ君の病室のある階に降りようとしていたのではないかと。

・で、降りようとしたら、目の前にシンジがいて、そのまま降りれなくなってしまった、のでは…。

・他にも、戦いの中でシンジが危機に陥るたびに、「使えんパイロットは切り捨てるしかない」って言うけど、それって要するに、シンジが確実に死ぬ場合はエヴァに乗せない、って言っているんだよな…。まあソレが親心なのか、単に戦力の確保が目的なのかは分からんが、少なくとも”シンジの生命だけは最大限に安全にしよう”と言う意図だけは読み取れる。

・大体だな、このやたらと高圧的な態度もおかしいんだよな。普通、大人が子供を利用するんだったら、もっと甘言を弄さないか?ちゃんと飴と鞭を与えてやれば、シンジ君なんていくらでも言うことが聞いてくれるってのに…。それをしない、というより出来ないところに、ゲンドウのあまりの不器用さが感じ取れる。

・なんて駄目な大人だ…。

・全体的に大人場面の描写が多かった。これはおそらく、かつてTVで観ている視聴者の対象年齢が、シンジからミサトに近くなっていることに関係しているのだろう。

・かつて、『エヴァンゲリオン』は子供の物語だった。

・おそらく、『エヴァンゲリオン新劇場版』は大人の物語になるのだ。
 
 
・あと最後のスタッフロールで驚愕。吉川良太郎…アンタなんでこんなところで脚本なんて書いているんだよ!!!パレ・フラノシリーズの続編はどうしたッ!?一瞬、頭が真っ白になったよ。マジで。

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コメント

でも、こういうことって、昔のエヴァ本ですでにやっていることなのかもしれねえなあ…。

投稿: 吉兆 | 2007.09.03 09:17

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