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2007.07.29

『十八時の音楽浴 漆黒のアネット』読了

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十八時の音楽浴 漆黒のアネット』(ゆずはらとしゆき/ガガガ文庫)読了。

ガガガ文庫の跳訳シリーズ。海野十三の『火葬国風景』と『十八時の音楽浴』を、ゆずはらとしゆきが設定を脚色し一つの話につなげたもの。大枠において、と言うよりもラスト以外はほぼ原作準拠なんだけど、そのラスト部分にゆずはらとしゆきの描き続けている空想東京百景の背景を持ち込んでいて、いつものフィールドに持っていっているのが巧妙だった。

「火葬国風景」
原作において存在しなかった露子の描写に注力し、彼女の存在から作品全体再構成しなおしたと言う作品かな。彼女の存在だけで、原作とはまるで別物と言っていい作品になっているように思う。と言うか最後の黒球には度肝を抜かれた。またそれまで状況に流されるままだった主人公が突然世界の外部存在と直結したのか、むしろライバルを圧倒しはじめるのにもびっくりした(いや、これはある意味原作の正しい解釈なのか?)。

「十八時の音楽浴」
童貞的妄想に満ち溢れたエロ改変によって、ただでさえ混沌とした原作がさらに大変なことになっている。原作の似非科学的描写が、すべてジュブナイルポルノ的な胡散臭さに置き換えられていると言うか…いや、これもまた原作の解釈の一つとして優れているのかもしれない…と言うのは間違いなく錯覚です。とにかく徹底した童貞的妄想への耽溺に対して手綱を取ろうと言う気がまったくないらしく、妄想を更なる妄想によって補強し、妄想によって構築していくのが凄まじかった。とにかく、これは”理”で読むべき作品ではなくて、奔放すぎる童貞、あるいは中二的妄想の暴走を、感覚としてとらえる事が求められており、その妄想に翻弄されることの興奮と喜びは確かにあると思うのだった。

「漆黒のアネット」
二つの短編をつなげる完結編。ここで「空想東京百景」と直結する。理論も理屈も越えて交わされる主人公と露子の会話が美しい。その後に生まれるものもまたかけがえのないもので、それは永劫回帰する円環の中で、しかし、別の螺旋へと繋がるものを提示しているのだった。時間と空間の奥行きが見えるような広がりがあって、人々の想いが繰り返されるところにひどく心が打たれるのだった。

ところで、この作品を作者のマスターベーション、自己満足とする表現は確かに正しい。なのでこの作品を楽しむには、作者のマスターベーションと同じマスターベーションをする人間にしか理解出来ないということなのだろう(おそらく、中村九朗を楽しむと言うのも同じような気もする)。この作品を楽しめるかどうかと言うのは純粋に生理的な領域のもので、性癖(…)が異なる人には理解は出来ないし、むしろ嫌悪を催すものに違いない。ただ僕はこの作者のマスターベーションを理解出来るし、その「気持ちよさ」を共有していると言う点が大きいのだと思う。

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