『リリアとトレイズⅥ 私の王子様(上)(下)』読了
『リリアとトレイズⅥ 私の王子様(上)>(下)』(時雨沢恵一/電撃文庫)読了。
時雨沢恵一の反逆ぶりが顕著に現れた一作であった。と言うかこれで完結編であるということを考慮すると(そんな事を匂わせるあとがきは、この作者のことだからネタで釣りの可能性が高いのであまりまともに受け取る気は起こらないにしても)驚愕に値する。
例えばいかにも親と子の、その世代交代の物語になるっぽい舞台設定をしておきながら全然そういう方向にいかないところとか。偉大すぎる親を乗り越えようとする親殺しの物語になるのかと思っていたのだが…親は親、子は子です、とばかりにそんな葛藤をあっさり放置してしまうアバウトと言うかドライと言うか、とにかくものすごい親子関係。特にトレイズ。実はトレイズってものすごい大物なんじゃないかと僕は思っているのだけど、と言うのは、トレイズの親と言うのは世界トップクラスの有名人であるわけなんだけど、一方トレイズは生涯を日陰者として生きてかなければならない人生を歩まなければならないわけで。それなのに、そのことに対してまったく屈託を持っていないという時点ですでにおかしい。おかしいと言うか、超絶的な大物か、並外れた馬鹿なのか。その判断をするにあたっては、3、4巻で、トレイズは大切なもののためならば、一切の躊躇いを持たずに人殺しが出来る人間であると言うことが描写された点を考慮する必要があるだろう。…トレイズ…コイツ、テラやべー。しかし、作中ではそういう扱いは全然されないと言う点がすごい。ヘタレヘタレと作中で連呼されていて、実際、リリアに関すること(だけ)を見ると優柔不断な点が多いからつい見過ごしがちだけど。実際に作中でトレイズが相手にしているのって、プロばっかなんだよな。…作者の作為をかんじるぜ。
他にも、ものすごく深刻な問題であるのに、ちっともそんなように見せていないところがあって。まートラヴァス少佐ことかつてのヴィルとその娘のリリアの間にまったく、全然、少しもドラマが発生しなかった件なんですが。つか、普通、死んだと思われていた父親が実は裏の世界で生きていた、なんていかにも冒険小説のお約束じゃないですか。期待するっしょ?ところがかつてのヴィルで今のトラヴァス少佐は、自分の私的な感情なんて容易くねじ伏せることが出来る鋼鉄の男なんでした。だから娘に自分の正体がばれるような失敗は絶対にしないし、そもそも、すでに自らを闇での暗闘の中で朽ち果てる覚悟をすでにしてしまっている。それに、名乗らない理由についても娘を巻き込まないため…と言う感傷だけではなく(まあまったく無いわけじゃないみたいだけど)(だから余計に性質が悪いわけですが)、自分が死んだとしても、その敵討ちをさせないためらしいと言うことが、今回のエピソードで感じ取れる。殺して殺される憎しみの連鎖。そんなものに意味はないと言い切る精神。何たる超絶ハードボイルド!だから親子の話には絶対にならないんです。鋼鉄の男だから。親子の情などと言うもので自らの大義は見失わないのです。
んで、僕がもっとも恐ろしいと思ったのは、最初に書いたトレイズの(本当は)恐ろしい部分やトラヴァス少佐の鉄血ぶりなど、深刻で残酷な部分をいっそ”ほのぼの”と描いていてしまっているところ。この作者、きっと”深刻な問題を深刻に描くことに興味が無い”んですな。一読では気持ちの良い、爽やかなおはなしを読んだような気がするのだけど、よくよくおはなしを思い出してみると、えらく残酷無残な描写しかないような。例えばギャグキャラクターとして素晴らしき輝きを放つ囚人四十二番とか。僕はコイツのやることなすこと言動が超面白くて好きなのだが、よく考えてみると(考えなくても)、コイツ、ナチュラルにサイコパスじゃね?作中で何人殺しているのかと。つーか作品全体でも何人死んでいるんだよ、と言う。いや、別に小説内における命の描写の軽さとかが言いたいわけじゃなくて。ただ、そんなシャレですまん内容を、なぜか”ほのぼの”とした描写になってしまう(あるいはしてしまう)時雨沢恵一と言う作家の特異性に驚嘆したと言うか。面白く、爽やかな中に、何食わぬ顔でものすごい毒が隠し味になっていて。”深刻で残酷な話をニコニコ笑いながら話している”ような底意地の悪さを感じるのだった。
まあ、キノの旅のことを考えれば、今更と言う感じでもあるのだけど。とにかく性格の悪い作家だぜ!
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