『描きかけのラブレター』読了
『描きかけのラブレター』(ヤマグチノボル/富士見ミステリー文庫)読了。
ツンデレの第一人者(適当)であるヤマグチノボルが、ライトノベルのお約束から離れてストレートな恋愛小説を書いてしまった初めての作品か?書いてしまった、と言うのはいささか不当な言い方であるかもしれない。と言うのは、ヤマグチノボルにとって『ゼロの使い魔』で見せる”萌え”を前面に打ち出した作風は余技にしか過ぎないと思うからだ(無論、極めて高度な技法を使用してるということは前提である)。真にヤマグチノボルが得意としている部分、すなわち作家としてのヤマグチノボルが描くテーマとなるものは、ぐるぐると暴走する劣等感とか恋に空回ったりと言う青春の痛みと挫折であると思うのだ。普段は”萌え”と言うフィルターによってラブコメディになっているそれを、この作品では一切のフィルターをかけていないために、ヤマグチノボルの生のままの”何か”が見えてくるように思った。
さて、一切のフィルターがかかっていない今作ではどんなものかと言うと…「リアルツンデレは死ぬほどめんどくさい(そして迷惑だ)」と言うことである。今作のヒロインである円のツンデレぶりと言うのは、ツンでは主人公ユキオとの些細な感情のこじれからひたすら彼の生活をかき乱し、日常生活をズタズタにしていくのをさらに数年にわたってイジメを続けていくというかなり洒落にならん有様で、デレに入ったら独占欲を発揮して自分をきちんと見てくれない相手には容赦なく接してくるどうしようもなくめんどくさい女なのであった。可愛げと言うものがまったくありません。こうして書いてみるといかにもいつものヤマグチノボルらしいツンデレキャラなんじゃないの?と言う風に思われるかもしれないが、作者の筆致が極めて恬淡としており、ギャグもコメディにも流されない冷静さがあって、結果的に円と言うキャラクターをフォローすることなくむしろ不愉快ささえ伴う生々しさを生み出しているのだ。
さてここまで書いてきておいて、全然褒めていないことに気がついたのだが、実際には僕の言いたいことはそういうことではないのである。確かにそういったライトノベル的なキャラクターの立て方としては間違っているのかもしれないのだが、それはラブコメ的装飾を排して登場人物たちの日々移ろう感情を丹念に描いているということにも繋がる。例えば友人が円に告白するための絵を描いてくれ頼まれて、その絵を描いているうちに、過去の決して愉快ではない円とのかかわりを思い起こし、自分の気持ちに主人公が気がつく過程の美しさすら感じさせるほどにナイーブで複雑な感情が表出していると僕は思うのである。まったく劇的ではなく平凡でありさえすると思うのだが、言葉に出せないもろもろの感情の捉え方が好みなのであった。
とても面白かった。
(関係ないが、おそらくこの作者は実は突飛で逸脱した発想と言うのが苦手で、平凡な設定を好むタイプだと思うのだが、それはゼロの使い魔におけるフィクション部分のあまりのお約束ぶりとかによく表われていると思う)
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