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2006.11.23

『パラケルススの娘(5)』読了

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パラケルススの娘(5)』(五代ゆう/MF文庫J)読了。

『かむなぎ 不死に神代の花の咲く』の感想でも書いたけど、ライトノベルのおける”少年性”とでも言うべきものは、女性作家の妄想の中にしかないんじゃないかという気がしてきた。ここで言う少年らしさというのは、あくまでも個人的な感覚でしかないのだが、夢だったり希望だったり異性への憧れだったり単純な性欲だったり裏腹の庇護意識だったり家族的な帰属意識だったり、まあラピュタのバスーを思い浮かべてもらうのがいいんじゃないかと言う気がするのだが、結局自分の内部だけで世界のすべてが決着してしまう子供の領域(世界、意識?)に、個人の意識だけではどうにもならない大人の世界、言い換えれば”社会”が流入してくることから生じる葛藤こそが”少年”を”少年”足らしめる何かを生み出すと言えなくもない。これは社会と呼ばれるなんだかよくわからない領域で、自らの証を立てたいと言う欲求があって、いうなれば新しい世界で新しい自己実現を達成することにこそ少年を主人公とした物語の真骨頂があると思うのだ。

しかし、現代のオタク、と言うか完全に自分自身の事を言ってしまうのだが、社会と呼ばれるよくわからない場所で自己実現を行うことが出来る、と言うことはいまひとつリアリティが沸かないのだ。むしろ、異なるエゴとエゴの結びつきが生じる極めて個人的な世界、小さな小さな世界(子供の領域)のぶつかりあいにこそ身近に感じるし、そも、社会と言うものそのもので自らの証を立てたいと言うことの意義が見つからない。夢や希望、大家族的な帰属への欲求と言うものは、少なくとも僕にとっては魅力的なものではなく、単なる選択の結果でしかない。社会と個人の葛藤と言うよりは個人しかいない世界。そんな捉え方は明らかに社会不適応者の言であることは言うまでもない。が、そういう感覚の中で生きてしまっている自分には、社会と呼ばれる何かへの所属と、秩序の中で自らを認められていくイニシエーションを経過していく”少年”というものが、どうも上手くしっくりと根付かないのである。

しかし、だからと言って少年らしさを否定するつもりは全く無いけれど。そういったものへの憧れ、あるいはノスタルジーは僕の中にもある。一歩ずつ自らの居場所を確立していくこの『パラケルルススの娘』の主人公、跡部遼太郎くんの姿は正直好ましく、このように清廉に生きることが出来れば自分ももう少しまともな人間になれるのかもしれないなあ、などと思ってしまうのであった。僕には到底出来ない生き方だからなあ。

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