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2006.06.27

『半分の月がのぼる空(7)』読了

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半分の月がのぼる空(7)』(橋本紡/電撃文庫)読了。

難病ものとしてのこのシリーズをこよなく愛する人が多いらしく、すっかり難病ものとしては5巻で完結していることから、6巻、7巻の展開に否定的な感想もいくつか読んだりもしたこのシリーズだが、そこをあえて書いてしまう作者の意図が興味深い。おそらく作者は語るべきことはまだ終わっていない、と判断したのだろう。

では作者が語りたいこととは何かというと、それは”感動的で泣ける予定調和的な悲劇”に対するアンチテーゼなのであろう、と僕は思う。ああ、確かにかわいそうな悲劇に見舞われた恋人たちが、悲劇的な愛を貫くというのはわかりやすく感動的だ。しかし、実際にそんな恋愛なんて、少しもきれいではなければ感動的なものではない。それは泥臭く、見苦しく、嫌悪を催すものであり、恐れて死を拒否するあがきそのものだ。それを拒否するのは、わかりやすい物語を望む読者だ。その本音は、悲劇的な運命を背負った少女は、美しく、そして潔く死を迎えるべきである、と言っているように僕は感じられる。物語の要請で死を迎える少女。とても感動的だね、けっ。

この物語のヒロイン、里香は難病を患いながらもなお生きていく。力強く生きている。劇的な形で結ばれたはずの恋人とでさえ、日々喧嘩をしたり、周囲に好かれる当たり前の人気者になったり、色恋沙汰に現を抜かしたりする。そりゃ演劇だってやっちゃうさ。そこには劇的な物語の後にあるはずの綺麗な余韻なんて何一つ無い。ただただ、一歩づつ積み上げていく日常があるだけだ。ドタバタとした生活があるだけだ。一瞬一瞬を刹那的に生きているだけだ。

そしてそれは当然のこと。人が生きようと死のうと恋愛をしようと成功しようと挫折しようとも、人間の営みは続くのだ。誰かが感動的に生きたからって、そんなものが何の意味がある?だれかが英雄的に死のうと、そんなものに何の意味がある?自分たちは、ただ生きていく。当たり前の日常を生きていく。

絶望的であれ、未来があれども、それでも当たり前の日常を生きることを選んだ主人公たちの姿は、コミカルで平凡で、劇的でも無いけれども、それこそが彼らの戦いであり、むしろ”劇的な物語”に対するあくなき抵抗を意味する。物語としての死に回収することを断固として拒否している。

感動的な物語?そんなものは溝に捨ててただひたすらに生きろ。綺麗な余韻なんて粉々にして粉砕してしまえ。ただ生きて、一分一秒でもいいから生き続けろ。たとえその道が暗くても、笑いあえる相手がいれば、まだなんとか歩けるさ。

たぶんね。

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