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2006.05.06

『戦う司書と黒蟻の迷宮』読了

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戦う司書と黒蟻の迷宮』(山形石雄/スーパーダッシュ文庫)読了。

今回は最強の武装司書ハミュッツ・メセタに匹敵すると呼ばれる武装司書モッカニアがメインの話…のように見せかけて神溺教団の戦士ウィンケニーが主人公と言える。
ウィンケニーは世界最強の一角であるモッカニアを殺すためだけに育成され、その後失敗作として見捨てられた存在である。本来あるべき存在意義をすべて奪われながらも、自らの世界における価値を必死に追い求め、モッカニアを理解し、モッカニアの精神に肉薄しようという部分が非常に面白かった。己が存在する意味をこの世に確立しようと足掻く様は、まさに人間そのものの足掻きであり、世界に対して必死に抵抗しようと言う行為であるといえる。この作者は、「一巻して人間が人間として生きるには何が必要なのか?」という問いかける過程と、その結末を描いているが、ウィンケニーは今までの登場人物の中で自らの求めるものを明確に意識していて、その目的が失われた後も諦めずに追い求めたところが格好良いなあ、と思った。最後の退場場面も、やるだけの事をやった男の悔いの無さがあって良かった。

モッカニアについては、世界最強でありながら、”強者”としての振舞うことが出来ず、人格と能力の乖離ゆえに世界に居場所を失ってしまった人間だと解釈できる。つまり彼の精神はむしろ”弱者”であり、他者を踏みつけに出来るような人間ではなく、繊細でさえある。しかし、彼の才能は彼を弱者に留めておく事が出来ず、彼はあらゆるものを蹂躙する力を得てしまうのだが、彼にとってはそれは望むべき事では無かったのだろう。彼が望まない力によって彼が望む居場所を失ったとき、あとは世界を拒絶するしか選択は残されてはいなかった。そして彼が求めたのは自分が愛し、愛された幼年期、さらに言えば母親によってのみ、彼は自らの居場所を得ることが出来る。ウィンケニーによって居場所(母親)を与えられた後は、そのためにこそ彼は世界と対峙する動機を持つのだが、それは彼にとっては幻そのものでしかない、というあたりに彼の存在そのものの悲劇的な部分があるのだろう。

ウィンケニーとモッカニアは立場も生い立ちも違うのだが、それぞれが現在の居場所を得られず、居場所を獲得するためにもがきがこの作品の重要なところではないかと思う。
 
 
それはともかくとして、ハミュッツ・メセタの根本的な部分は夢見る乙女、あるいは白馬の王子様を待つ少女だったと言う所に驚愕した。マジか。

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