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2006.05.19

『ルート350』読了

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ルート350』(古川日出男/講談社)読了。

「これは、僕としては初めてのストレートな短編集だ。」などと作者本人は言うておられる。まあ連作短編とか”短編のような何か”だったりすることがないという意味では珍しいのかもしれんが。ん?『gift』はまともな短編集ではなかったのか?

久しぶりに各話感想…にはなってねえ!

「お前のことは忘れていないよバッハ」
ポップでキュートでいっそスラップスティックに描かれる3家族の顛末は、子供たちに深い深い傷を与える。いつだって傷つくのは子供たちであり、その傷ついた事実を必死で乗り越えようとしている姿がポップでキュートになるのは当たり前のことなのだと思った。ある種の悲劇は涙では語れないのだ。
大冒険を繰り広げるバッハを探して彼女たちもまた旅を続けている。お前のことは忘れていないと、これからも忘れないだろうと旅を続けるバッハに向かって届かないかもしれない言葉を投げかけ続ける。
ただ、それだけが本当のことだ。

「カノン」
フィクションとリアルとフィジカルとイデオロギーが対立し、対立しあう概念から生まれるのはいっそ気恥ずかしくなるほど”愛”なのだ。一目見たときに、彼と彼女はお互いの中に覗き込む自分自身を発見し、そこにフィクションとリアルを幻視する。虚構を愛する少女と現実を信奉する少年の相違は、単に思想の違いに留まらずただ果てしなくリズムにのってのみ止揚される。
音と鼓動に満たされた世界の何たる幸福な事よ。
そこにはただ命と心だけが在る。

「ストーリーライター、ストーリーダンサー、ストーリーファイター」
青春、青春、青春。ここにあるのはただただそれだけ。強く強く世界と対峙する少年少女たちのその横顔は美しい。彼ら、そして彼女らが見つめる先にあるのは人間そのもの。そして彼らが見出すものは人間の想像力そのもの。彼ら、そして彼女らが出会うのは、彼ら、そして彼女らなのだ。
傍観者とならざるを得ない生ける幽霊は、彼ら、そして彼女らの疾走を見、世界と戦い、認識をする姿を見る。
実にキュート。あるいはクール?いやいやこれが青春ですよ。

「飲み物はいるかい」
知らない道を歩く。そこには人がいて、痕跡があり、流れていく。
知らない道を歩く。旅に出ようを他人は言う。
知らない道を歩く。通り過ぎる人と、通り過ぎる風景がある。
知らない道を歩く。僕の隣に誰かがいてくれるのだろうか?
知らない道を歩く。でも、旅は常に一人きりだ。
でもまあ、話し掛けるぐらいはいいだろうさ。

「物語卵」
物語を物語る男たちの物語を紡ぐ物語を形作る男たちを造型した物語を描いたのは…。
まさしく終りがない。ピリオドがない。永遠の終わらない物語。卵が先か、鶏が先かなんてどうでもいいよ。物語が孵化する物語があるのだから、語り手たちは語られることさえも前提に語り続けるしか無いのだろうさ。不幸か幸福かも関係ないのか?それ、羨ましいぜ。

「一九九一年、埋め立て地がお台場になる前」
予知夢にブラジャー。終わらない夜と眠りへの抵抗。フリークス。どこにも未来も希望もないどん詰まりのありえない日でノンストップで暴走ワゴン車が疾走する。その先行きを照らすのは、曲がらないハンドルと焦げたブラジャー。見捨てられ、無かったことされてしまった時間と場所と人々は、いつかは何もなくなるとしたって、今をやっぱり生きている。
 
生きているんだ。

「メロウ」
頭の良い子供たちは、殺されなければならない。それが大人の不文律。頭の悪い子供のみが生き残れる世界。それが世界の標準。頭の良い子供たちが行う反乱は、大人たちをすべて食い潰し、押しつぶし、蹂躙する。
過程なんて求めるな!結果さえあればすべては動く。理由なんて求めるな!ただ戦う意思だけが尊いのだ。
そんな子供たちは…やっぱり殺すか殺されるのか。その二択しかないのかね?ちぇ。

「ルート350」
彼らは旅をしている。物理的な距離もそうだし、心の距離だってそうだ。旅をするってのは、要するに距離を縮める行為なんだって事を改めて思った。当たり前だって?まあね。

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» 「僕の前にある」という路(ルート)は、本当にあるのか? 古川日出男「ルート350」(講談社) [梟通信~ホンの戯言]
著者が「僕としては初めてのストレートな短編集だ」という。8つの短編からなる。しかし独立した短編は全体としてひとつの世界を創っているような気がする。 現実とレプリカ。なにが現実でなにがレプリカなのか?重層的な・幻想としての世界。 決して美しいとはいえない言葉たちの氾濫・遊び。閉じ込められた世界のなかで暴力が確かに存在する。 「ベルカ、吠えないのか」と重なる世界でもある。”系図””系統”のなかに固有名詞はどうしたら存在するのか?「お父さん」という呼び方を名前として理解してしまい(両親だけに... [続きを読む]

受信: 2006.05.27 22:16

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