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2006.04.01

『侵略する少女と嘘の庭』読了

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侵略する少女と嘘の庭』(清水マリコ/MF文庫J)読了。清水マリコの『嘘』シリーズの第3弾。ひょっとして完結編?

清水マリコと言う作家は、いつも自分にとって、どう評価したものか悩んでしまう作家だけど、この作品に限っては明確であった。内容を端的に説明すれば、幼いことからつるんでいた幼馴染4人組の前に一人の少女が表れることで、その欺瞞と変わることへの不安を露わにしてしまう、という話だ。もっと言ってしまえば、”繋がり(と言う名の未練)を断ち切る”話でもある。ある種ジュブナイルにおいて、友情と他者への思いやりは無条件で肯定される部分が多いのだが(それはライトノベルでも同じこと。その意味では保守的だよな)、この物語はそれを否定する。正確にはつながりを”悪”と言うのではなく、”つながり続けること(という名目)で変化への不安を糊塗することを”悪”だと言っているのだ。

それは友情を、思いやりをあげつらっているわけではない。友情が無力だと言っているわけでもなく、友情よりも愛情が大事とか言っているわけでもない。ただ、それでも人は変わっていくのだし、それは罪悪感や恐れを感じることではまったく無いのだ、と言う事を、他人に対して”悪意”をもって傷つける少女の存在を通じて描いている(ただその傷つけ方は直截であり、陰にこもらず、ただ真実を突きつけるのみだ)。

上手く言えないのだが、これは大人になると言う事なのだろう。人間とは汚くてずるくて”嘘をつく”生き物だ、と言う事を認めること、そしてそんなままであり続ける事が決して不幸と言うわけではないのだ、という気づきがここにはある。

そう言う意味では、これはまったく”教育的”な物語ではない。決して(ライトノベルによくある)裏切りも憎悪も怒りも描かれているわけではないが、これぐらい反道徳的で、非教育的な物語はないだろう。何しろこの物語は”かわいそうな少女を救う”ことをしない。嘘をつき、人を傷つけることを非難しさえもしない。

しかし、なぜかこの物語には、もの悲しく、透明で、さわやかですらある”空気”を感じさせる。それはどこか冬の朝にも似た厳しい美しさでもって僕を惹きつけるのだ。

補足
toi8による表紙絵は、その透明な美しさを表していて良い仕事だと思った。表紙買いしても外れではないかもしれない。

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