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2006.03.10

怒りも悲しみも憎しみも喜びも愛も正義もすべてはただの娯楽だ

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ホワイトデー上等。』(三浦勇雄/MF文庫J)読了。

とても面白かった。前回は散々貶してしまったけれども、もともと面白いと思うし、エンターテインメントとしてはよく出来ているということは認めている作品ではあるのだ。ただ、このシリーズは作品の面白さとは全然関係が無いところで、毎回僕の感覚のどこかにすごく引っかかるものがあるために、手放しで褒め難いというところがあって、ただ、それが気に入らないかといえば必ずしもそうではないとどっちなんだよ。

今回、強く感じたのは主人公とヒロインの恋愛模様が、その悩みと苦しみが、すべて外世界人の”娯楽”として消費されているという事実であろうと思う。これはもともとの基本的な前提であり、何を今更、というところではある。しかし、主人公の熱血も努力も恋愛も、怒りも悲しみも苦しみも、それらはすべて娯楽であり、それを楽しんでいる人間が存在する。それだけではなく、より楽しみを深くするために、主人公たちを更なる困難に直面させる事さえする。そしてそれを眺めて楽しむ傍観者たちがいると言う構図だ。これはそのまま「TV」と「視聴者(傍観者)」と言い換えてもいいし、さらに言えば「読者」と「キャラクター」と言う見方も出来るような気がする。

つまり、このシリーズは熱血で根性のボーイミーツガール恋愛小説と言う内枠(番組)と、その血と汗と涙の物語を楽しむ(消費する)傍観者の無責任さ、傲慢さを描いた外枠の二重構造になっている。外枠の部分と言うのは表には出てこず、あくまでも想像することしか出来ないのだが、その想像の世界(物語の、あるいは本の外側と言う事が出来る?)は、酷く「居心地が悪く」「気持ちが悪い」。その気持ちの悪さこそが、かえってこの作品を単なる熱血ライトノベルにしていない”危うさ”のようなものを感じさせるのだ。

今後、主人公たちの人生が娯楽として消費され続けるに当たって、それを拒否するのか、それとも受け入れるのか。その選択はいつか迫られることになるのだろう。

あとは、作者がその部分を逃げずに書き切ってくれることを期待するのみだ。

(ただまあ、実は作者が”本の外側”の話に興味があるのかどうか分からないという不安があるのだが。単に天然でやっているだけかも知れず…。いや、そんなことは…でもひょっとして…)

悩みは尽きない。

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