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2005.09.03

『愛はさだめ、さだめは死』読了

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愛はさだめ、さだめは死』(ジェイムズ・ディプトリー・ジュニア/ハヤカワ文庫SF)を読んだ。面白かったけど、なんだか意外な感じ。

『たったひとつの冴えたやりかた』がとても面白かったので、同作者の作品も読んでみた。…全然、お話の方向性が違うよ…。そうか、この人は本来こっちの作風だったのだな。あっち(たった~)を新境地と呼ばれる理由が良くわかりました。こちらの方は、ディプトリーの短編とショートショートに分類される作品群であって、どれもこれもシャープな切れ味が格好良い。

中でも読んでいて一番「すげええええー!」と思ったのは、表題作の「愛はさだめ、さだめは死」だったかな。異星における生物の愛と本能の葛藤をすさまじい勢いで綴るノンストップなラブストーリー(と言うと語弊があるな)。そのあまりに力強い文体と愛を高らかに歌い上げる場面なんて読んだ時は、まるで舞城王太郎かと思いました。つか、ぶっちゃけ似てるな…(もちろん逆だって事はわかっているし、訳のせいかもしれないけども)。

他に面白かったのは、解説者曰く”<サイバーパンク>を完全に先取りした”「接続された女」、”人間性”というものの不確かさと非関係性を描いた「楽園の乳」、圧倒的なカタストロフと内省的な葛藤の両立と言うとにかく凄いことをやっている「最後の午後に」なんかは涙が出るくらいに面白かった。どの短編もラストでどうしようもない現実を思い知らされた後、結末は投げっぱなしになっているケースが多く、後味が悪いどころか、ぽっかりとした虚無感すら覚えてしまうのだけど、その突き放し方が凄く切れ味鋭く、癖になりそうな気がしてくる。ふむ。

しかし、気になるところが無いわけではない。書かれた時代背景が違うのだからしょうがないのかもしれないのだけど、一部の短編で描かれるあまりにも無邪気で傲慢な人間主義には、いささか鼻白むものを感じないではいられない。一番あからさまなのが「恐竜の鼻は夜ひらく」だ。この作品における主人公たちの人間以外のものに対する倣岸さは反吐が出そうになったのだけど、何より最悪なのが作品上、それが肯定されている点だ。てっきり主人公たちがひどい目に会うのかと思った何にも起こらなくて本当に腹が立つ。ちなみにとても面白いと思った「最後の午後に」にも同じようなところがあって、主人公たちの、自分達が助かるために自分以外の異星生物に対して平然と犠牲を強いる傲慢さにたいして、ひどく苛立ちを覚えてしまう。
まあ、60年~70年代に書かれた作品なんで、現代の感覚と照らし合わせる事の不毛さはわかっちゃいるのだが、なかなか感情は納得できませんね。やれやれ。

とは言え、この作品集の価値が減じることは何一つ無いと言える。シニカルで残酷で繊細なくせに甘さを抱えた物語は、確かに『たったひとつの冴えたやりかた』の作者だなあ、と思いました。

 
 
ところで、ギャラクシーの編集長であったロバート・シルヴァーバーグの前書きが異常に面白いのは周知の事実ですか?ここまで堂々と大混乱した前言撤回は初めて見たよ…。

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