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2005.07.01

『殺×愛 0‐きるらぶZERO』読了

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殺×愛 0‐きるらぶZERO』(風見周/富士見ミステリー文庫)読了。ここまでまっとうなセカイ系は久しぶりに読んだなあ、という印象かな。

思うにセカイ系というジャンルが存在するのは、痛みも喜びも哀しみも怒りもすべて自分の中に抱え込んでいまう不器用な人間が、この世(特に若者)に常に一定の割合で存在しているためなのだろうな。(きっとこんな事はどこかの偉い人が既に言っているに決まっているだろうが)敢えて言うなら、苛立ち軋みを挙げる自分の心を持て余し、それを他者と共有すれば楽になるものをいつまで経っても後生大事にとっておく人間の心の地獄こそセカイ系、とか。そう言う人間は、例えば彼とするけど、すべてを自分の中に抱え込んでいるため、結局自分以外の人間の存在まで手を伸ばしている余裕がないのだ。自分の手の届く範囲ぐらいしか干渉する余裕がない。はっきり言って、そんな暇はないのだ。ただただ生きるだけで精一杯の彼にとっては、彼の葛藤こそがすべてであり、そこから抜け出そうともがき苦しんでいる。それは、世界を自らの肩に乗せたいて踏ん張りたいという英雄的行為への憧れとも似て、結局は自己犠牲による自己救済というとても救われない結末が待つしかないのかもしれない。ああ、そうか。セカイ系は少年の世界なのかな。

いきなり電波文をかまして引かれたかもしれないが、そう言う話なんですよ、これ。世界の命運を握った少年が、彼のごくごく平凡な願いを叶えるため、世界を背負って戦っている。そんな彼を救済(=殺害)してくれる少女とのボーイミーツガールの恋物語なわけです。つらくて苦しい内的世界からの脱出と開放を夢見て、少女と恋して殺される事を願う。世界(自分)の命運ここにあり、だ。

でも、それのどこが悪いって言うんだ?死ぬ事を願っちゃ駄目だってのか?

まあそう言う話。

タイトル通り、今回はプロローグであって、少年と少女がいかにして出会ったのかの物語。
続きもきっと読むでしょう。だって、未だに僕もセカイの中にいるものですから(いい年して何を言っているんだか…)。

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