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2005.05.07

『西の魔女が死んだ』読了

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西の魔女が死んだ』(梨木香歩/新潮文庫)読了。読む前の先入観をことごとく覆された感じだ。てっきり心温まる感動物語タイプの話かと思っていたのだが、もっとエッジが効いていました。面白いなー。

あらすじとしては学校に行けなくなった主人公のまいが、田舎のおばあちゃんの家で生活を始めるというところから動き出す。英国出身の祖母との穏やかな生活の中で、周囲からの束縛によってがんじがらめになっていた自分を見出し、まいは自分で判断し行動すると言う事を学び始める…という話。

これ元々児童文学だったんですね。何年か前にちょっと話題になったような気もしますが、その時は流行りの感動系の作品だとばかり思っていたのでスルーしていたのでした。今回は、妹に勧められたので読んでみようかと。ちょうど重たい本を読む気がしなかったのでちょうど良いと言えばちょうど良かったので。

この作品は、つまり指輪物語などの系譜に連なるファンタジーなのだと思う。それも少年にとってのそれではなく、少女にとってのそれだ。現実からの逃避した主人公が、異世界で生活を過ごし、そこに住む魔女から知恵を与えられて現実に帰還する。これはそう言う話だ。
決して感動の人間ドラマでもなければ、教育小説(上手い言い方が思いつかない。登校拒否に関する社会派小説と言った意味合い?)でもないと言うところは強調しておくべきであろう。あらすじでは、まいの登校拒否という背景が強調されているところがあるが、それは本題ではないと思う。

さて、まいとおばあちゃんの穏やかな生活の美しさについて触れるのは他の人に任せるとして、ここでは魔女であるおばあちゃんが、まいに折り触れて語る『自分で考える事』の大切さについて書いてみようと思う。

僕が重要視したいのは、祖母の近所にすむ”ゲンジさん”の存在である。このゲンジさん、小太りで小汚く、口も悪いし態度も悪いと言う、いわば少女的世界観においては害悪としかいいようの無い人物だ。仕事をしている様子も無く、今でいうところのニートに近い存在なのだろう。

このゲンジさんに対して、まいは当然の事ながら嫌悪し憎悪する。少女の世界観からはこのような人間は、もはや人間としての価値もなく、彼女の静謐で調和の取れた世界を歪ませる悪なのであろう。しかし、そんなまいに、魔女である祖母は、自分の感情に囚われてはいけない、自分の正しいと思った事というのが常に正しいとは限らないと説く。勿論、まいはそんな祖母の言う事が首肯できず、最後には喧嘩をしてしまう。

しかし、ゲンジさんが、魔女の死の際に取った行為が、それまで悪そのものであったイメージを一掃してしまう。それまでゲンジさんを悪だと断定していたのは、少女的世界観の狭量さに過ぎなかったと言う事が明らかにされ、それまでの価値観がひっくり返ってしまう。この部分の処理の仕方が大変品が良くて痺れてしまった。

魔女の言葉は、常に『他人や外部に流されるな。自分自身で考え行動せよ』と言うものであり、これは時の感情で行動したり、思い込みで判断する、流行に流される文化へ違和の表明でもある。自分の理解できない事への拒絶に対する反論である。

僕がこれを読んでいる時に頭にあったのは、先日読んだ『電波男』にも出ていた恋愛資本主義者たちの行動である。『恋愛』という価値観を盲信し、その判断基準からは害毒であるオタク(=キモオタ)に対する嫌悪の念を抱いて攻撃、排斥をする人々、これはそう言った人々へのアンチテーゼとしても成立しそうだ(無論、恋愛資本主義を学力至上主義、オタクをおちこぼれと言い換えても良い。外面はどうでも良いのだ)。

おそらく、この作品の読者は女性が多いと思うのだけど、そう言った偏向した見方という物への批判をどのように受け止めているのかに僕は興味を覚えてしまう。まあ、巻末の解説で、ゲンジさんについての言及がほとんど無いあたり、ある程度想像はつくわけですが。やれやれ。

少なくとも単なる感動物では無く、たぶんに毒を含んだ内容である所が正しく児童文学をしていて良かったと思う。

これは、男から見た感想なので、女性の見方とは違うんだろうなあ…。

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