「ネコソギラジカル(上) 十三階段」、読了
上下二段組で370ページもあるのに、あっさりと読了してしまった。この読みやすさは異常すぎる…。
「ネコソギラジカル(上) 十三階段」を読了しました。相変わらずの戯言っぷりを堪能。
取り合えず、最初に言っときたいのは「これ上中下巻組みかよ!」って事なんだけど、言ってしまったからまあいいや。結局、まだまだ途中もいいところなので、実のところあまり語る事は無い。何か言うにしても完結してからじゃないとねー。それでも言おうと思えば言えるんだけど、巻頭の登場人物紹介にはちょっとびっくりしました。登場人物が多すぎですな。すでに名前とキャラが一致していないんですけど…。しかも、名前しか出てきていない人もいるし…。七々見奈波って今までにまともに登場して事も無いのにフォローが一言も無いんですが…。今回何食わぬ顔で登場する石凪萌太も実は初登場だよな…。ま、いいけど。
前回(いや前々回くらいかな?それとも最初から?)から「物語」というのがキーワードになっている様子です。ラスボスと思われる『最悪』こと狐面の男は、物語を終わらせる男であり、すべての終幕を引く事が目的であると(ここで言う物語というのは大きな物語と捕えてかまわないのかな?)。そこには個人の意思の入る余地はなく、必然的にその他すべての存在を圧殺し省みる事は無い。それに対して『戯言使い』こと”いーちゃん”は、何も選択をしないという自らのスタンスを崩し、ついに誰かのために行動し始める。その動機には、自らの身を守るという消極的なものから脱して、みいこさんを助けるという極めて個人的な、それでいて感情的な行動原理であり、そのような行動原理を「信じ込んでいるように見える」”いーちゃん”が存在する。
さて、現在のところ、この2人は(狐面の男が意図したように)宿命のライバルのように見える。しかし、実際のところ、狐面の男が必要としている「敵」という存在の意義がまだ良く分からない(僕がね)。また、本来誰よりも”いーちゃん”を束縛するはずの玖渚友が、ひどく寛容で”いーちゃん”の自由意志を認めているかのような発言をしている。また彼の周りにはそれまで関わってきた様々な人たちが助けてくれているし、今こそ”いーちゃん”が世界と関わっているという実感を得ている状況なのであろうと思う。
しかし、そう言う実感というのは何かのきっかけですぐにひっくり返るものなのだ(個人的体験だが)。もしかすると西尾維新の考えが最近は変化して、多少は前向きな意思を肯定的に表現しようとしているのかもしれないが、それよりも、今のどこか生ぬるい展開は、どこか不安定感を増大させつつあり、次巻以降の展開に不安を感じずには入られないのが正直なところだ。考えすぎかね?
まあ、とにかく続きを読まない事にはしょうがない。中巻は、もう少し早く出してくれるとありがたいですねえ。これで放置されたら拷問ですよ…。
あ、そうそう。今回は闇口崩子ちゃんが大活躍というか大フィーバーですな。すさまじいまでのあざとさでキャラが立っております。…次の巻あたり死にそうな気がしてきた…。
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