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2005.01.25

「ぴよぴよキングダム(2)」、読了

この感想は思いっきり失敗作だー!原作に対するあまりにも過剰な思い入れのため、いささか暴走してしまった。反省。自戒の念を込めて敢えて晒してしまおう。みんな笑えばいいさ!


ぴよぴよキングダム(2)」、読了しました。相当にネタバレなのでページを切り替えます。

すげー!素晴らしい!もう、大絶賛の嵐ですよ。何でもいいけど確かな事は、僕は木村航のファンになったって事だ。こんな素晴らしいものを読ませられては白旗を揚げるしかない。

全世界が注目する中、ついに『聖婚の儀』が始まろうとしていた。しかし、儀式もクライマックスに近づいたところ、突如としてブラ麿と市ヶ谷珠理が現れた。なんと、『恋の儀式』への意義申し立てが受理されたと言うのだ。儀式の公正さを吟味するため、査察官の取調べを受ける拓たち。そこで彼らは高次元生物、ピッチパッチについて知る事になる…というあらすじ。


何度でも言うが、すげーよ、これ。例えばSF的なところだけ見ても、高次元生物ピッチパッチの生態(彼らにとって感知しえる時間は現在しかなく、時間連続線を俯瞰する事によって過去と未来を『選択』する)などかなりSF的にも本格的なことをやっているのだが、しかし、それらは単に設定のみ留まってはおらず、物語にきちんと組み込まれている。彼ら、ピッチパッチは時間を流れとして認識する事が出来ない。そのため過去を思い出すためには時間連続線を認識し、逆しまに遡ることでしか認識する事が出来ない(ビデオの巻き戻しのようなもの)のだ。結果、拓たちはピックルたちの辿って来た道程をなぞり直してゆく。そして徐々に物語の根幹を成す始まりの場面に回帰してゆくのだ(惜しむらくはもうちょっと描写を掘り下げて欲しかったように思うが)。

しかし、そう言った設定以外のところ、すなわちドラマとしての側面も忘れてはならない。
実のところ、この作品は直接的にキャラクターの内面を描写するシーンはほとんど無い。ここに登場する人物たちは、どいつもこいつも『素直ではない奴ら』ばかりであり、読者に対してすら容易に内面を明かそうとしない(一人称と言う形式であるが故に、逆に自分の心の内を韜晦している)。読者は、その遠回しな描写から彼ら、彼女らの心を推察するしかない(これは三人称の場面でも同じことで、その場面に現れていない人物の心の内はわからない)。が、それゆえにこそ、登場人物たちの複雑さを描写しているのだと感じるのである。複雑さというのは、つまり、人は自分の事ほどわからないという事、あるいは怒りながら泣き、泣きながら笑える生き物であるという事だ。明確な感情が描写されていないのは(説明がされないのは)キャラクター小説的にはマイナスというか、ぶっちゃけてしまえば落第とさえいえる。しかし、これは読者に登場人物の感情を共感させようという作者のたくらみではないかと思わずにいられない。登場人物たちの考えを理解するためには、読者は自らの経験と感情を元手に『直感』する必要があるように思う。
(まあ、こんな事は本を読む上では自然と皆やっている事であるとは思うのだが…。ひょっとしてつまらない事を書いているか、自分)

作者らしい描写が冴え渡るのは、最後の『対話』の場面だと思う。実は、ここは僕が一番感嘆した場面であったりする。それはたった二人の登場人物がいて、ただひたすらお互いに言葉を投げかけあうという場面。それぞれが対話によって『自分』自身を相手に認めさせようとする。しかし、対話を重ねるうちに、言葉はひとりでに意思を持ち、登場人物たちの思わぬ方向へ展開していく。それは抽象的なイメージの乱舞するとても美しい言葉の世界で、ぶつかり合うのは人と人の感情のせめぎ会い。ここは和解の場面であり決別の場面でもあるのだ。美しくも泥臭い描写が大変素晴らしく僕好みであった。

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