『ある夏のお見合いと、あるいは空を泳ぐアネモイと。
』(朱門優/一迅社文庫)読了。
夏が舞台であると言うところを見ると、作者がシナリオライターをつとめたゲーム『いつか、届く、あの空に。』の変奏曲的な意味もあるのかなあ、と一瞬考えたのだが、考えて見れば、このゲームをまだクリアしていないことに気がついた。うぬう。
それはともかく。ゲームをやっていても感じるのだが、この作者の描く世界は不思議なリアリティの感覚がある。それは現実感がある(リアル)と言う意味ではなく、僕が知るリアルとは異なる別のリアル(≒世界、法則)を構築していると言うことだ。そのリアルは僕の許容するリアルとは似ているようでどこか現実感に欠けており、白昼夢めいた印象を与える。しかし、それが単純にリアリティが無いということとは異なっている。確かに僕にとってのリアル、つまり現実とは明らかに異なっているのだが(例えば祭りの設定など明らかに常識的におかしいと思うのだが。)、その作品世界に生きる登場人物にとっては、それは平凡な常識であり当たり前のことなのだ。この読者と登場人物の間にあるズレは読み始めたときにはそれほど気がつかないのだが(なんかヘンだな?とは思う)、読み進めていくうちにどんどん乖離が激しくなり、地に足の着かない不安感とでもいう奇妙なリアリズムの無さに繋がっていると思う。
ただ、この作者に対しての評価が定められない点もまさにそこである。果たして、作者はこれを計算してやっているのか、それとも天然なのか。あるいは表現技巧を凝らしているのか、単に表現技巧の拙さなのか。その点が、この作者とはわりと長く付き合っている自分でも、未だに把握出来ていない(余談だけど、僕が初めて朱門優の作品に触れたのは『黒と黒と黒の祭壇』から。エロゲーです)。この独特の空気感は嫌いではないのだけど、感覚のズレそのものはやはり引っかかるものがある。単なるご都合主義のようにも思えるけど、何かしら僕の知らない文法でもって書かれているようにも思える。
なんなんだろうなあ…などと結論を放棄するオレ。この、ある種のエロゲーに存在する文法の違いを上手く言語化が出来ないのは今に始まったことではない上に、いくら考えても分からないので、たぶん、僕とは違う国から来たライター書き手なんだろうな、としか解釈出来ないんですよ。まあこういう作品もあって良いとは思うが。
しかし、本当になんなんだろうなあ…(まだ言っている)。
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