テラリアどうでしょう
自分の文章は論理的と言う意味では昔からメチャクチャで、そのせいで感想を一つ書くのにも、テンションと勢いがないと手が動かないのが常だった。そのため調子の良い時は勢いでなんとかなるのだが、スランプに陥ってしまうと途端に書けなくなってしまう。と言うわけで『論理トレーニング101題』(野矢茂樹)を読み始めている。けっこう面白い。
文章と言うのは一連の流れと言うよりも要素要素の組み合わせである、と言うようなことが書いてあって、なるほどと思う。言われてみれば、昔から自分はそのように書いていたな、と言う納得感がある。納得してしまえば当たり前と思うのだが、それがわからないのがスランプというものなので、言葉として(理屈として)理解しておくのは重要なことなのだろう。
基本は大切だと言う誰もが得ている普通の教訓を今更ながら実感する。まだまだ分からないことばかりだな。
話題転換。マインクラフトと比べるとテラリアはゲームとしての自由さと言う点では劣っていると思う。マインクラフトはプレイヤーの想像力次第ではほぼ無限の遊び方が出来て、そこにはもう製作者側の意図を離れているのに対して、テラリアはあくまでも製作者側の提供する”遊び場”の枠内で遊んでいるに過ぎないからだ。しかし、それはマインクラフトよりもテラリアが劣っていると言う事を意味するものではない。なぜならゲームの自由度=ゲームの面白さではないからだ。自分の自由に想像し、創造することは間違いなく面白いが、だからと言ってルールに縛られたボードゲームがつまらないというわけじゃない。それはただ楽しみの質が違うだけであって、楽しさの”程度”の比較をするようなものではないと思うのだ。
この書き方はけっこう疲れるが、リハビリだから仕方がない。
テラリアはボスの「Eye of Cthulhu(クトゥルフの目)」を倒すところまでは行った。たぶん最弱のボスなので、先はまだまだ長そう。ただ、宝箱からダッシュブーツを拾ったり武器を拾ったりと、探索がかなり楽しい。早く二段ジャンプが出来るようになりたい。
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